16年間の成果として企業誘致などが奏功し、県内総生産額を約8兆4千億円から約9兆5千億円と1兆円程度伸ばしながら、県単独の借金を約4,000億円削減することができました。
またこの間、民間活力を活用し小さな行政体にする施策にも果敢にチャレンジし、「上水・工業用水・下水みやぎ型管理運営方式」や「仙台空港の民営化と24時間化」、「農地の集約・大規模化」、「水産業復興特区」、「医学部の新設」、「次世代放射光施設の誘致」など、県民の皆様にお約束したことをひたすら実現してまいりました。
平成29年11月21日~令和3年11月20日
復興計画(発展期)3年+新ビジョン(前期)1年
4期目の1年目となる平成29から30年にかけては、震災復興計画の再生期から発展期に移行するタイミングであり、ハード面では三陸自動車道の延伸も進んだ。平成30年2月の平昌オリンピックで羽生結弦選手が2連覇を達成したことから、4月にはお祝いのパレードを開催した。
また、発展期として、まさに県勢の発展に向けて戦略的な取組を始める年でもあり、平成30年3月には水素エネルギー発電設備を宮城球場に導入、7月には創造的な復興の1つとして力を注いだ「次世代放射光施設」の設置も決まった。10月には観光需要喚起策としての「宮城オルレ」がオープンし、新ブランド米「だて正夢」がデビューした。
2年目となった平成31年3月には、災害公営住宅が全戸完成し、4月には気仙沼大島大橋も開通、元号が令和に変わった5月には名取市閖上のまちびらきが行われるなど震災復興のハード面の進捗を感じられる年となった。一方、令和元年10月には令和元年東日本台風が襲い、県内各地で大きな被害を受けた。大規模化・頻発化する自然災害への備えについて決意を新たにした。
3年目となる令和2年度は復興計画の最終年度であり、復興の総仕上げに注力するとともに、象徴的な行事として本県会場での「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」や「第40回全国豊かな海づくり大会食材王国みやぎ大会~」の開催を予定していたが、新型コロナウイルス感染症対応として全国各地で緊急事態措置が実施されるなど世界的に感染拡大が続いたことによって、大会は延期を余儀なくされた。
また、令和2年11月には東北電力女川原発2号機の再稼働に理解を表明し、県民会館・NPOプラザ・県美術館等の再編に関する方針をまとめるなど大きな決断が相次いだ。
4年目となる令和2から3年度にかけては、引き続き、新型コロナウイルス感染症への対応に注力し、医療提供体制の確保と社会経済活動の維持・回復の両立を図りながら、令和3年7月には復興五輪として位置づけられた東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を有観客で開催し、また、10月には、第40回全国豊かな海づくり大会を開催、東日本大震災からの復興が進んだ宮城県の姿を、国内外に対する感謝とともに発信することができた。
また、令和2年度をもって震災復興計画は終了。県政運営の新たな指針となる「新・宮城の将来ビジョン」が令和3年度からスタート。急速に進展する人口減少に対し、将来を見据えた施策を次々と打ち出した。令和3年2月には仙台空港の24時間運用を可能とする覚書の締結、7月には上工下水一体官民連携運営(みやぎ型管理運営方式)の関連議案が可決、9月には政策医療の課題解決に向けた県立病院等の再編について発表した。
震災後、国の東日本大震災復興構想会議に毎週のように出席し、被災地を代表して、東日本復興特区制度など様々な提言を行いました。提言の多くは、平成23年7月に国が定めた「東日本大震災からの復興の基本方針」に反映され、その後の復旧・復興スキームの基礎となりました。
震災からおよそ半年後の平成23年10月、震災復興計画を策定しました。この計画の趣旨は、宮城の将来を見据え、従来とは違った新しい制度設計や思い切った手法を取り入れて、復旧にとどまらない抜本的な再構築によって先進的な地域づくりを行うことであり、「災害に強いまちづくり宮城モデルの構築」など10項目の取り組みを柱として掲げました。
震災によって、通常の年間処理量の約14年分に相当する約1,160万トンの災害廃棄物が発生しました。沿岸市町による処理だけでは対応が困難であったため、県による処理スキームを構築して県内4ブロックにおいて焼却処分等を行ったほか、県外での処理についても6都県に協力していただき、約3年間で全ての災害廃棄物の処理を完了しました。
ピーク時(平成24年4月)には12万人を超える方々の仮設住宅を確保する必要があり、約2万2千戸のプレハブ仮設住宅を整備したほか、約3万5千戸の民間賃貸借上住宅(みなし仮設)を確保して対応しました。また、県ではサポートセンター支援事務所を開設し、各市町の仮設住宅サポートセンターの運営相談や専門職の派遣、支援スタッフの人材育成等の支援を行いました。
被災地では、復旧・復興事業の圧倒的な事業量に比べ職員数が圧倒的に不足しており、各市町においては大規模な事業に精通した職員が少なかったことが課題でした。このため、国等を通じて全国の自治体に派遣要請を行うなど複数のルートによって人員を確保し、マンパワー不足に対応しました。
また、復旧・復興に当たっては、膨大な事業を実施しなければならず、適切な財政措置が講じられなければ、県や被災市町が描く抜本的な復興計画は「絵に描いた餅」になってしまいます。このため、国の復興構想会議で、使途の自由度が高く複数年度の使用が可能な一括交付金の創設や国庫補助制度の拡充、地方負担に係る地方財政措置の確保などを提案しました。その結果、国の平成23年度第3次補正予算において、地方負担を伴わない復興交付金の創設など全額国費による財政スキームが構築されました。
津波により被災した地域における住民の方々の定着を促し、復興まちづくりを推進するために、被災市町が地域の実情に応じた独自の住宅再建支援策を講じることができるよう、復興基金交付金約728億円(国の平成24年度補正予算分709億円、県の復興基金分19億円)を追加交付しました。この交付金によって、防災集団移転等の対象となる災害危険区域とそれ以外の区域における支援格差が解消され、被災者の自力再建を促す取り組みが抜本的に改善されることとなりました。
被災市町との緊密な連携の下、復興まちづくりを進めてきた結果、災害公営住宅については計画の9割以上(14,682戸 平成29年8月末日現在)が完成しました。また、防災集団移転促進事業、被災市街地復興土地区画整理事業等による宅地については、計画の約8割(7,804戸分 平成29年7月末日現在)が供給可能となりました。
被災事業者の再建については、グループ補助金や県単独補助金、専門家による相談支援事業等によりサポートし、約9割の事業者が復旧しました。
交通インフラについては、約3年で道路の全面通行止めを全て解消し、常磐自動車の全線開通(平成27年3月)や三陸縦貫自動車の延伸(平成29年3月 南三陸海岸IC)、鉄道についても、JR仙石線の全線運行再開(平成27年5月)やJR常磐線の運行再開による県内在来線の全線復旧(平成28年12月)など、着実に復興が進みました。
復興が遅れている水産加工業について、国内外の販路創出・競争力強化を行うため、経済商工観光部と農林水産部が一体となって取り組んでいます。
これまで、香港、タイ等での県産水産物販路開拓のためのプロモーションや、ベトナムのイオンモールで水産加工品のテストマーケティングを実施しました。また、平成28年6月に設立された「東北・食のソラみち協議会」や、平成29年3月に設立された「東北・食・輸出事業協同組合」と連携し、仙台国際空港を拠点とする農林水産物の輸出促進体制を整備しました。さらに、(公財)みやぎ産業振興機構内に水産加工業に特化した支援チームを起ち上げ、「ものづくり産業」で培われてきた支援手法を活用し、専門家を派遣しての生産性改善活動や水産加工業者等がグループで行う勉強会等を支援していくなど、課題解決をともに目指す「伴走型支援」を実施しています。
大規模イベントは、県内外から多数の方々が来場するため、周辺市町村も含めた開催地域での大きな経済効果等が見込まれ、震災からの復興と支援への感謝を県内外に発信できる絶好のチャンスです。これまで、ジャニーズの「ARASHI BLAST in Miyagi(アラシ ブラスト イン ミヤギ)」や「リボーンアート・フェスティバル」、「ツール・ド・東北」、「ポケモンGO」を活用したイベントの開催などを通じて、沿岸被災地の観光誘客促進や震災記憶の風化防止に取り組んできました。
放射性物質による汚染廃棄物については、震災発生から6年間、一時保管を強いられている農家等の負担が非常に大きいことから、早期の処理が課題となっていましたが、平成29年7月の市町村長会議において、8,000ベクレル/kg以下の農林業系廃棄物の処理方針について合意に至ることができました。
自動車関連産業、高度電子機械産業など多くの製造業を誘致し雇用を創出しました。サービス産業中心からものづくり産業への転換が進み、県内総生産額は、名目で9兆199億円、実質で9兆5,148億円となり、第2次産業の割合が高まっています。また、一人当たりの県民所得も向上し、全国順位も24位に上がりました。
平成28年7月、全国に先駆けて、国管理空港で初めて仙台空港が民営化されました。空港運営会社は、東急電鉄等による仙台国際空港株式会社で、民間企業のノウハウをフルに活用した、国際線の増便やLCCの拠点化など民営化の効果が早速、現れてきています。また、福島、山形方面等との二次交通も充実してきており、東北のグローバルゲートウエイとしての拠点化が進展しています。
観光客については、震災で一時大きく減少しましたが、JRや航空会社と連携した観光キャンペーン、各種イベントの開催などにより、観光客の増加を図りました。
競争力のある農業経営を実現するため、農業経営の法人化、農地の大規模化・集約化を進めました。また、みやぎ県産木材の普及促進を図るため、県産木材の生産量拡大と利用拡大(優良みやぎ材の出荷量拡大)に取り組みました。
震災後、漁業は再開資金の確保や担い手の高齢化、後継者不足等が大きな課題となっており、民間資本の導入が必要だと考えました。このため、平成25年に、地元漁業従事者の7割以上を含む法人に区画漁業権免許を付与する水産業復興特区制度を導入し、桃浦LLC(合同生産会社)が第1号として「桃浦かき」のブランド化、カキの加工品開発による高付加価値化などに取り組んでいます。若い従業員も増え、新たな水産業の経営モデルになると考えています。
平成28年4月、東北医科薬科大学医学部が新設されました。県は、学生30人分の修学資金を拠出し、卒業後2年間の初期研修を終えた後、県が指定する病院で10年間勤務していただければ返還を免除するという仕組みをつくりました。これによって、学生は国立大学の医学部と同程度の学費まで負担を抑えることができるようになり、地域医療に従事していただく医師の不足や偏在にも効果的に対応できることとなります。
平成28年10月から、ドクターヘリの運航を開始しました。県内全域を運航範囲として、基地病院である仙台医療センターと東北大学病院から交代で出動し、原則として、毎日運航しています。
子育て世代が安心して子育てができるよう、保育所の整備を進めました。特に、事業所内保育所の整備について、国庫補助と併せて使える県単独補助金を創設し、子育て世代にとって働きやすい職場環境づくりを推進しました。
平成29年度から乳幼児医療費助成の対象年齢を引き上げました。
平成29年度から、全国で初めて、県内一斉に小学校入学時の教材購入費等の助成事業を始めました。
特別養護老人ホームの定員数を増やし、全国順位も上がりました。また、担い手となる介護人材の確保にも積極的に取り組みました。
平成28年2月に「スマートみやぎ健民会議」を設立し、産官学が連携して健康づくり運動を行いました。
平成20年度から、女性の力を生かす企業認証制度を開始し、特に優れた取り組みを行っている企業を表彰するなど、ワーク・ライフ・バランスに取り組む企業を応援しました。
また、平成27年度に経済団体など県内の10団体による「宮城働き方教育推進等政労使協議会」を立ち上げ、平成28年8月には働き方改革に向けた共同宣言を採択し、働き方改革の先進的な取り組みを行っている企業を表彰しました。
国は、平成26年に水素社会の実現に向けたロードマップを発表し、四大都市圏(首都圏、近畿圏、中京圏、福岡・北九州圏)で水素自動車を普及させる方針を示しました。水素エネルギー産業はこれから大きく伸びることが期待されており、東北でもその普及・促進に取り組んでいかなければなりません。
県では、平成28年3月にはFCV(燃料電池自動車)を東北で初めて3台導入し、平成29年3月には四大都市圏以外で初めて本格的な商用水素ステーションがオープンするなど、東北における水素社会先駆けの地として着実に取り組みを進めました。
都市近郊の緑地が保全され、県内の貴重な植物や野生動物の生息地となっている、良好な自然環境の地域を積極的に保全していくことが必要です。
そのため、大衡村の昭和万葉の森緑地環境保全地域(21.81ha)と利府町、大郷町にまたがる番ヶ森山周辺地域緑地環境保全地域(800.04ha)の2地域、合わせて821.85haを新たに指定し、緑地の保全を行っていくこととしました。
震災の教訓を踏まえ、傷病者の域外搬送拠点、支援部隊の一時集結場所やベースキャンプ用地の確保、物資の輸送中継拠点の必要性を痛感し、広域防災拠点を整備することとしました。
平成28年10月、広域防災拠点の計画地を取得し、平成32年度の一部供用開始に向けて整備を進めています。今後、広域防災拠点の整備とともに、県内7圏域8ヵ所の圏域防災拠点や市町村の地域防災拠点との連携体制を構築し、大規模災害に効果的に対応できる体制づくりを進めていきます。
ふるさと宮城の再生と発展のために
これからも全力で頑張ります!
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